2021/12/31

種を撒いたり、耕したり。

 2021年も終わり、2022年がやってきます。


建築家として、ものごとのデザインに携わる立場として、伝えることができたことや、表現できたことも多かったけど、その一方で、やりたかったこと、やらなければならなかったこと、でもやれなかったこと、やり残したこと、実はそちらの方が印象に残った2021年だったかなと思っています。


まちなかにある民間の施設があって、それはその地元の人の個人経営ではあるんですが、多くの人が利用していて、多くの人に愛されていて、まちのシンボルにもなっていて、そうなるとほぼそれは公共施設、それも皆の心に刻まれた、まちと一体となっている公共施設以上の施設となっているといっても過言ではない建築がありました。

設備が老朽化して、年明けからは休業するそうです。実はもうこれ以上動かしていくのは難しい、という思いもあるそうです。
そんなこんなで土地や建物に携わる方から相談があり、そんな話を聞き、建て替え案の計画を少し描いたことがありました。盛夏過ぎ、秋の入口に差し掛かったころでした。

残念ながらそれは実現には至りませんでした。デザインのこと、設計や工事に掛かる時間の多さだったり、お金の話だったり。様々なことが複雑に絡み合って、建築の力だけではどうにもならず、。

しかし、本当に建築は何もできなかったのでしょうか?後から、その思いは、いつも以上に、膨らんでいきました。やっぱり何か、建築家ならではのことはもっと言えたり、示せたりしたのではないか、。

確かに、建築という仕事は、設計であっても、施工であっても受ける側の立場です。何年も前から言われていることですが、特に設計者ってもっと仕事を作っていく立場になることができるのではないか。
普段からの備え、というか、もっとまちなかの人たちと時間を共有したり、物理的な時間は難しくても、もっともっとまちのことを知ったり、もっとまちがこうなったら良いのではないか、ということを、単なるデザインすることにとどまらず、一歩踏み込んだ提言を用意するなどの備えや構えができるのではないか、。もっとまち全体が良くなっていくことへの、種まきや耕しができたのではないか、できるのではないか、。

自分も少しではあるものの、まちづくり活動のプラットフォームを持っている立場として、22年は、きっと、もっとそれを考え、実践していく年になるんだろうな、と、どんよりとした雲の合間にも澄み渡る青色が見える、そんな21年末日の空模様を見て思いました。



2021/05/30

残念からの期待、ピンチはチャンス、必ず逆転するから。Tough times bring opportunity.

Tough times bring opportunity !! 必ず。and ,,, Adversity is the best school !!

、、とは冒頭書いたものの、残念なニュースを見ることがこの一年間、もう一年以上、残念ながら多くなってしまったと思う。最近も残念なニュースを読んだ。日本の接種遅れが世界100位以下とのこと。男女平等も100位以下。コロナ対策も100位以下。。。春先の給付金申請も、いまだに審査中が多数とか。。決して必ずしも順位付けや格付けするものではないとは思うし、各国どうしたって、状況が違うのだから、単純に優劣もつけられないけど。。それでも。。やっぱり残念に感じてしまう。もちろんこれからの状況で挽回できると思ってるし願っている。

なぜ残念に感じてしまうか。それはやっぱり自国の状況を毎日ニュース等で見聞きし、ある程度実感のあることとして感じることができるから、ああやっぱりそうだよな、なんでそんな感じにしかなれないんだろう、って思えてしまうからかな。すごく残念さが実感として理解できるからに他ならない。

でも、、そこは、、ピンチはチャンス、絶対に事態は好転すると思うししなければならないと思う。そのためには、単純なことかもしれないけど、失敗覚悟でまずやってみよ、という姿勢にまずならないと。そしてそれを周りの人間も寛大な心で暖かく見守る度量をもたないと。もし何か方向性間違ったなら、謝るべきところは誤って、そこから先修正して進んでいこう。人や物事の批判ばかりはやっぱり良くないかな。

自分以外のすべてのモノゴトヒトの存在を認め、お互い認め合うこと。もちろん絶対ダメなことは存在すると思うけど、そうじゃないものはその存在をまずは認め、もっと理解してみないといけないと思う。なるほど、こういう考え方もあるのか、そういう考え方もあるのかと。

自分と違うものを徹底排除の攻撃を仕掛けるのではなく、対話してみること。力での弾圧などもってのほか。仲良くなれなくてもまずは認め合わないといけないと思う。

残念という単語が繰り返されてしまい、それこそ残念であるが、日本は残念ながら様々な文化が入り交じる場ではどうしても物理的に乏しい場所は確かだと思うし、事実だと思う。それが故に、どうしても自分と決定的に違うもの、との遭遇や触れ合いがほとんどと言って良いくらい、その機会が無い。世界がどうなっているのか、その中で日本はどのような状況に置かれているのか、できる限りなるべく意識していかないと。

良くないニュースばかりが目立ってしまう昨今ではあるが、行政単位で違ってくるかとは思うが、ようやく子どもが所属する野球チームが、仲間に声を掛けての練習が認められるようになった。このことはちょっと良かったな、と思えることの一つである。子どもたちは多大なストレスを知らず知らずの内に感じていると思うがほんとによくやってると思う。早くユニフォームを着て、チーム全員で集まって練習できるようになるといいね。

最後に去年に引き続きになるが、日々戦っているお医者さんたちに最大の敬意を払いつつ、このコロナの状況が収まることをひたすら願いたい。