2012/06/08

朝日カルチャースクール「近代日本と東北・東北人論(1)」を聴いて


水曜日のことですが、東北の勉強会にまた参加してきました。
途中仕事の都合で抜けていたのですが復活です。
ここ何回か受けていて、もうこれからは東北って言葉をちゃんと考えて使わないといけないなと段々思うようになっていたところに今回の講義でそれが決定付けられたといっても過言ではない講義でした。
これが、今回の感想を一言で言うなら、というのに該当する感想です。
以下、今回の講義で気に留まったフレーズやその感想を端的に書いてみました。
・北海道「フロンティア論」と東北「後進地」論-わたしの「原・東北」像-
(『東奥日報』1916年9月17日付「北海道から(二)」
横浜の文明は、東北を見捨てて函館とぴったり抱き合っているよ、という文言。つまり東北をすっ飛ばして北海道との付き合いに中央と呼ばれていた東京近郊は力を入れていたということ。

・比較の対象としての東北
・1888年10月、東北十五州委員会(新潟)
富山、石川、福井までもが入っています。もはや東北、という言葉でくくれないですね。
東北6県と呼ばれる以前の話で、なので、東北6県という呼び方は比較的新しいと言うこと。
15州ということは、大飯原発も福島原発も同じ地域に存在していると言うこと。

・東京からの視点、アイヌとの繋がり
アイヌは当時北海道だけにとどまらず、青森県の下北半島にも、また、朝鮮半島にもアイヌは広く存在していた。東北はアイヌとの結びつきが強い、と東京は見ていた。そのことが東北はいつしか日本の端っこという意識への変化となっていったということ。

・「白河以北一山百文」論
これも一つの比較論でしょう。西南との比較から生まれてきた言葉。新聞の『河北新報』がここから生まれていたというのも興味深いです。

・1918年、原敬の首相就任
無爵の人が初めて首相に就いたという大きな転換点。高橋是清大臣と共に、白河以北一山百文の場所から大臣が2人も表れたという事実。

・イザベラ・バード『日本奥地紀行』
東北に対する理解、観察力は今までのものとは類を見ないほどの相違。「たいそう遠い田舎に住んでいるに過ぎないという理解は新鮮。まったくその通りではないかと思う。

・東北=スコットランド論
日本の中の東北は、イングランドとスコットランドの関係に似ているという論説。

以上ざっと見ても、東北というには、あまりに大括りにし過ぎで、それは、以外の人々が作り上げた比較の対象としての言葉に過ぎないんだということが良く分かるかと思います。昨年の地震をきっかけに、歴史や、行政の枠組みの再構築を図ると共に、ひいては人々の意識をも再構築し、東北地方と呼ばれた中にある各県、また各地域は、解き放たれなければならないと思います。ふと思ったのですが、今、この時期、世界中が注目しているこの時期に、世界中に認めてもらい、それを日本に逆輸入してしまうことも、いろいろな面で凄い効果的なんじゃないかと、頭をよぎりました。

朝日カルチャーセンターのホームページはこちら
http://www.asahiculture.com/LES/detail.asp?CNO=164069&userflg=0

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