2018/03/18

感動から得られるもの、知ること。

最近感動することが多い、感動的な場面に出くわすことが多いのです。ひとえに平昌オリンピック・パラリンピックによることが大きいですが、その他様々な出来事が起こりました。教えている中央工も2年制の2年生は授業も最後となり、卒業を迎え、そして、社会人やその他進学という次のステージを迎えます。

感動することから得られるものは無限大だと思います。その感動から知ることも非常に多いです。

努力してそれが結果として表れたらそれまでの努力が報われたということで、その喜びは感動となって表れ、多くの人の心に届き響きます。そして届いた感動は、多くのパワーとなって、また誰かに感動を伝えていくことができます。感動は伝播していきます。

今まであんなことがあった、こんなことがあった、これだけの人が自分をサポートしてくれた、そのことに対する感謝の気持ち、だから今の自分がいるんだ、そう思う気持ち、それを表現することは、多くの人々の共感を呼びます。

その感動の一方で、努力してもそれが結果として表れない、表れなかった、そんな場面にも多々出くわします。

全くもって自分自身は想定してなかった良くない結果です。その一瞬に全てを賭けていたけれど、まったくもって実らなかった、そんな場面です。後悔してもし切れません。。

でも、それも、努力が結果となった、多くの中の一つの場面です。多くの中の一つにしか過ぎないと思うのです。当事者からすると、簡単にそんな風に片付けることはできないと思います。でも、絶対その人は強くなります。そして、同様に多くの人に感動を届けることができていると思います。ひょっとしたら成功した結果よりもより多くの感動の量かも知れません。

昔、小学校の時の担任だった先生が、次のようなことを言っていたことを、感動の場面に出くわす時、あるいは、何か自分が取り組んだことに対する何らかの結果が出た時、いつも思い出します。

「努力なくして結果なし、でも、努力せずとも結果が出ることもある、しかし、努力せずして出た結果は真ならず。」

全ての文言は一致しませんが、そんなことをおっしゃっていました。
最近感動することが多く、また、そんな場面に出くわすことが多いので、その回数が多ければ多いほど、ものすごいエネルギーとなって、色んなことを教えてくれました。誰もが色んな物事を背負って生きているんだと思います。うまく行く時もある、失敗することも多い、でもめげずに色々やってみる、それが自然に滲み出る、それくらい様々な物事一所懸命取り組んでいければ。多く感動から色々と考えが巡りました。

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