2011/04/03

”悲しみをこらえているたくさんのミボージンたちへ”



”-悲しみをこらえているたくさんのミボージンたちへ、この本が役に立てば-”
とあるが、この本は、そんな生やさしいものではない。もちろんハウツー本なんかとはほど遠い。優しいアドバイスどころか、ミボージンたちをかなり激しく叱咤激励し、更に言うならば、ミボージンというか、女性を取り巻く環境に渇を入れる説教本である。激しさを優しいイラストである意味紛らわすというか、優しい物言いにうまく見せかけている、笑、それが唯一の救い?である。

文章から筆者の声がする。「喧嘩売るなら覚悟して掛かってこいやっ」って、笑。でも、ホントに強い人。ご本人は何て言うか知らない。ホントは強く無いかも知れない。強く見せかけているだけかも知れない。書物にすることによって、また普段から文章に書き記すことによって、本人の意志に因っても因らなくても自然と自分を外敵から守り同時に攻撃しているとも言えるのではないか。攻撃は最大の防御なり。でも本来は、この人がこんなに一生懸命戦い攻撃し守らなければならないという状態が日本の労働体勢において最もまずいところ。なにもこの人がこんな戦わなくても良いのです。

ホントはこの本はミボージンたちへのもの、亡き夫エツオ氏への率直な想いと感謝の気持ちを綴ったもの、ではありますが、それ以上に一生涯”夫婦”で戦い抜きます!という意思表明、宣言のような強いものを感じました。

それともう一つはっきりと分かることは、ミエコさんはエツオさんのことが大好きだったということ。これもご本人なんて言うか分かりませんが、一読者として物凄く強く感じることが出来ます。それを感じることが出来ただけでも、少なくともボクはとてもホッとして心安らぐことが出来る。

実は2004年9月1日、この日ボクは忘れもしない東京代官山槍ヶ崎の交差点を渡っているときに突然心臓に痛みを覚え、交差点の途中でうずくまってしまいました。周囲の人に声を掛けられ抱えられたほどでした。その時は何とか良くなったので、その後自力歩行して当時勤務していた事務所に戻ったのですが、そう、その日は2、3日後に知ったのですが、この本に出てくる親戚である伯父が亡くなった日でした。自分でもにわかに信じられないですし、知り合いに話しても全く理解してもらえないですし、まあそりゃそうかなとも思う訳ですが、命日に心臓が経っていられないほど痛くなったのです。そしてこんな日は曾祖母が亡くなった日も同じ事が起こっています。強く心にいつも自分がどうやっても届かないところにいる人、何て言ったらいいのか分かりませんが、遠く及ばない人、師と仰げる人というのが適切かも知れない、かつ身内な人でこの現象が起こるようです。

エツオさんはある意味ボクの命の恩人。東南アジアに40日旅に出た時、事前に会ってくれて、バンコクに当時駐在していた世界銀行のバンコク支局勤務の上の方を紹介して下さり、旅の拠点とさせていただいたことがあります。エツオさんからは色々な事を話して貰ったが、今でも印象に残っている言葉は、”冒険をする時に一番重要なことは、ただ単に危険に身をさらし、自分の命を省みず突き進みその結果得るものではなく、セーフティーネットを最大限張り巡らし、危険から身を守りながら一歩一歩自分の進みたい方向に進むことなんだ”というものです。そのセーフティーネットの具体例として上述の方を紹介して下さったのだ。今思うと、今こうして無事毎日を生き、仕事をしていく中で、いかにこの言葉が重要なことなのかがよくわかる。身に染みて良くわかる。ホントに感謝してる。エツオさんのことは祖父や母からいろいろ聞いているがそれを話し始めたらきりがない。

途中、ハッとする文章がありました。
”-人を慰めるには、本当にエネルギーがいる。相手の気持ちに同化できそうもないのに中途半端に手を出せば、かえって傷つけるだけに終わることもある。だから、エネルギーがないときは、型にそって、弔電でも送っておく方がずっと役に立つ。-”
今、今日、この現在、自分のやるべき事に光が当たった気がしました。

もう一つ最後に。今、エツオさんがツイッターとかフェイスブックを見たら、そしてこれらのソーシャルメディアがエジプト革命を始めとする様々な世界の動きのトリガーの一つになっていることを見たら、何て言うんだろう?特に中東が専門でしたし。自分も使って情報を発信するのだろうか?そして秘かに使っていながら、「ツイッターって何ですか?」って言うのだろうか。

竹信三恵子著 『ミボージン日記』を読んで。

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