2011/11/30

中央アーキの浅草の住宅の内覧会に行ってきました。

先日、中央アーキという名前の設計事務所が設計した内覧会に行ってきました。大学の時に同じ研究室仲間だった中央のメンバーにも久々に会うことができました。

浅草の住宅です。町屋のように細長い住宅です。

(外観)

(1階)

いわゆる狭小住宅の部類に入るかとは思いますが、だからこそ、内部空間に一体感があり、床面積の小ささに反比例して、空間の大きさ、立体感、奥行き感が感じられる住宅でした。
内覧会の案内をいただいたリーフレットにあった写真は、建物上方から写した模型写真だったのですが、それにはこの建物の特徴である、3本のスリットが鮮明に映し出されていました。なかなかそれを写真に納めることができずお見せできず残念。

(3本のスリット(写真では2本のスリット))

お施主さんも仕切りなく一体的に使うことをご要望だったとか。
窓も多く、冷暖房効果とかはあまり良くない部分もあり、快適過ぎるほどの快適は無いこともあるかと思いますが、そこは家族の一体感、そして通りの賑わいが暖かくしてくれるでしょう。
繰り返しになりますが、内部空間も一体的ですが、なにより、どこにいても浅草の通りを感じることができ、空を見ることができ、建物外部の周辺自然環境と一体的になれることを良く計算して設計してあるなと、すぐに伝わってくる住宅でした。

(1階奥から玄関と上階を振り返り)

(ガラスの床、上の階にいながら表の通りの様子が分かります。)

(上の階を見上げ)

(1階の唯一の個室の天井は、開閉自由の仕掛けが。)

2011/11/26

湘南の海ではやっぱりサザンかな、と、、

鎌倉で住宅の設計を進めている件で、施工者と打合せのために、昨日朝から夕方まで藤沢大船鎌倉稲村ヶ崎を訪れました。今年五月から何度となく来ていますが、何度来てもいいですね。何度も描いてますが。
湘南の海だからやっぱサザンでしょ!ということで、サザンを聞きながら海をちょっとの間眺めました。最高の休憩です。
お施主さんも言っていましたが、今日は割と良い波のようです。
サーファーも気持ちよさそうに板に乗っていました。
こんなの見てると、自分もまたサーフィンやってみたいと思っちゃいますね。
一回板の上で立てただけなんだけど。しかも今から14年前のことですが。

(道の向こうに海が見えてきただけでワクワクしてきます。)

(気持ち良さそうに波に乗っていました。)

(海に立ってる?)


また来ます、何度も来ます、笑。
海も来るけど、次は、美術館と寺院回りですかね。

2011/11/19

過去と現在が同時進行していることが実感でき、、、写真は1967年丹下健三さん設計の、、、

銀座、飯田橋で会場見学や打合せを朝から夕方遅めまでおこなったり、赤坂でお施主さんと打合せを重ねながら、ここのところ移動を多く過ごしています。銀座では卒業以来の人に会ったりするなど、純粋に懐かしさを感じると共に、自分でも不思議なのですが、過去と現在が同時進行していることが実感できとても刺激を受けました。そんな仲間とこれからもっと頻繁に事を進めていかなくては。年が明けてどういう風に事がゴールまで進んでいくかは自分自身も今後のお楽しみ、笑。
写真は1967年丹下健三さん設計の静岡新聞・静岡放送東京支社です。


2011/11/16

やっぱり一つ一つの積み重ねしかないですから、、、懐かしい場所にふらりと立ち寄ってみるのもなかなか面白く、、、

工務店と打合せをして、プランの説明や、イメージの伝達や、今後のスケジュールやらをみっちりとおこない、その後、急遽設備設計の先生から打合せが可能というお話しを頂いたので、夜遅かったのですが向かい、20分くらいのつもりが1時間半すっかり話し込んでしまいましたすみませんそしてありがとうございました。
モノを作り込んでいくとき、いかに関わる人たちと話す機会を設け、じっくりとお互いの意見を言い合う環境を作れるかと言うことに重きをなるべく置きたいと思っています。やっぱり一つ一つの積み重ねしかないですから。

その後、途中下車して丸長に突然ですが、行ってみました。やってるかな、やってるはずないよなこんな時間になって、と思って向かったらやっぱりやってなかった。でも、マスターが店内の後片付けをしていらっしゃったので、声を掛けたらまだ覚えていて下さり感謝多謝。最後に食べてから4,5年は経っているのに嬉しい限りです。片付けの手を止めて店先で喋り込みました。その後お店のママもお休み中なのに、出てきて下さりまたしても懐かしい話や最近の話を喋り込みました。寒い中だったのですみません。感謝です。
懐かしい場所にふらりと立ち寄ってみるのもなかなか面白く、自分が昔考えていたことや思いみたいのが蘇ってきてまたやる気が出てくるというものです。

2011/11/14

一夜明け、今朝から時間を追うごとに筋肉痛が激しさを、、、高校生の頃は、、とか言いたくないし、、

一夜明け、今朝から時間を追うごとに筋肉痛が激しさを増してきています、、、。だんだんぐうの音も出ない状態になりつつあります、。身体が全体的にまったりとしたぬるい痛みで覆われつつあります、、。高校生の頃は、、とか言いたくないし、、。
先々週からリノベーションの件で現地調査にたびたび行っている件で今週も打合せや、住宅の打合せや締め切りが続きます。ここが正念場、なんだが、、、痛い、、笑。

2011/11/13

第85回かち歩き大会で43kmに初チャレンジしました。

大震災の翌日に予定されていた前回の大会は中止、その後の大会でした。自分としても43キロは初チャレンジでドキドキしていました。

結果から言うと、8時間9分で完歩しました。とっても気分爽快です。すごいリフレッシュになったと思います。これでかち歩き大会は去年の新宿東村山23.5kmコース、今年2月の大宮加須31kmに引き続き3回目の参加。とても良い大会だと思います。
来年は、2月19日(日)にさいたま大会、3月4日(日)に福岡大会、そして3月11日(日)に東京大会があります。次回のさいたま、東京にも出ようと思います。

(ゴール地点の横断幕)

(次回の予定とか)

予定通り朝8時半に新宿中央公園水の広場を出発して、5キロ地点までは集団歩行。その後自由歩行。途中から建築家の越賀克郎さんのりみちくん親子に会い、楽しくお話しながら歩きました。越賀さんが楽しくお話をしてくれたおかげで気が紛れて何とかゴール出来たのだと思っています。27キロくらいが一番しんどかった、、。前回の31キロ大宮大会も25キロ~27キロくらいがとにかく意識が朦朧となるくらいきつかったですが、今回も同じ。でも、やはり経験てすごいなと思ったのですが、経験してたから乗り切れた部分もあるのかな、と。やっぱ人間て自分の知らないことにものすごく恐怖を抱く動物なんだな、と改めて思いました。

27キロくらいまでのきつい時期が終わり、30キロ地点くらいからは、今まで痛かった腰下の足の付け根部分に加えて足首や足の甲が痛くなってきて身体も今まで以上に重さが急に増してきましたが、なんか後は勢いで乗り切れました。なんか身体が痛くても前に進むことが出来ました。越賀さんたちと楽しく会話しながら辺りの景色を見ながら歩けたことに加え、ちびっこや若者や若い女性や年配の女性、男性、おじいさん、おばあさんまで、うつむきながらも必死に歩を進めている姿に励まされ続けたからだと思います。最近いろいろなところで見かける話題、「過去の重要な意志決定や発送は歩きながらなされる」というものにも合っていると言えば合っていますし、笑、自分以外の人の頑張りを垣間見ることができる、素晴らしい大会だと思います。

帰り道、立川駅で南部線の発車を電車の中で待っていると、同じホームの隣の番線で待っている大きなリュックを担いだおじさんが急にフラフラとなり、その後、後ろによろよろとなり、そして、ダーンっと倒れました。それもびっくりしたのですが、更にびっくりしたのは、その瞬間、ホームに立っている人も、ダーンっと倒れた50センチくらい横にいたイヤホンで音楽聴いて携帯見ていた高校生も、ボクよりもいくらかでもそのおじさんに近い位置に居た他の乗客の人達も、よろよろとなった時から、あー、あー、ってなってたのにも関わらずダーンっと倒れてからは打って変わって、シーンっとなりうつむき加減になって辺りを見回すばかりで誰も動こうとしなかったことでした。それがほぼ一瞬の出来事。その後ボクは電車を降りてそばに行って声を掛けると、割としっかりした様子で、大丈夫大丈夫、と繰り返していて、それでもちょっとすぐにはその場を離れることが出来なかったので、廻りの誰か一人でも近づいてきてくれればどっちか一人でも駅員さんを呼びに行けるのに、と思って顔を上げると、みんな目をそらす、全員。ここがベトナムやタイやインドだったったら、あっちゅう間に黒山の人だかりです。そして周囲の皆はチラチラとこちらを見ていました。大丈夫とは言っていたものの、駅員さんが近くにいなかったのでちょっと探しに行ったけど、どうにも見かけることができず、もう一度そばに寄って声を掛けると目も合ったし、そもそも倒れたとき頭は打ってなかったのは確実に見てたし、声もしっかりしてるし、お酒も飲んでいた風で酔っぱらっていた風でもあるので、大丈夫かなと思い電車に乗り込みました。
なんだこの国は、と思いました。その場に居たおそらく6、70人を代表として国の話まで持って行ってしまうのは間違っているとは思いますが、そんな気分です。これはその場に居た人がみんなそうなだけだったのか、それとも、東京という土地柄のことなのか、はたまた首都圏の人種はみんなそうであるのか、いやいや首都圏以外も日本全部みんなそうなのか、まあそうとは思わないですが、とにかく今目の前に居る人や物に対して、関心を持たないようにしているというか、事なかれ主義を貫きたい精神なのか、触らぬ神に祟りなし的な感じなのか、分かりませんが、オレはなんちゅう国に住んでいるんだろう?と一瞬思ってしまいました。もちろん良いことも沢山あり、良い人も沢山いる国だというのもよく分かっているのですが、それでもやはり良くない部分もとても多い気がします。自分や自分の身内もとても大切ですが、その自分や自分の身内以外の人のために何が出来るのか、何をするのかをもう少しで良いか考えて行動しないと、大袈裟な話かとは思いますがホントに日本は世界からもっともっと切り離されていってしまうんじゃないかとホントに心配です。
自分や自分の身内以外の人に関わりの度合いを増していくと、それはそれは自分の身に降りかかる嫌なことや、面倒なことも一瞬であっという間に増えていきます。自分も他人に対して怒りの感情などマイナスな感情が芽生えてしまうことがあることも多いと思います。でもそれ以上に人との関わりはその先にもっと大きなものを生み出すものだと思います。ネット上で双方向に繋がった人だけに手を差し伸べたり情報を発信していくことも意味ある事もあるかも知れませんが、自分とは完全にオフラインの位置関係にある人達とどう付き合っていくのか、声を掛ける側の掛け方、掛けられる側の掛けられた時の対応、それぞれ立場が逆になることもありますし、そっちの方が重要度が高いと思います。
先人達は、様々な書や記事で、日本人はいつの頃からか周囲との生の関わり合いを避けるようになっていきたといったコメントを残しています。建築家の安藤さんも、60年代の経済成長期に、経済追求型だけでものを作るようになったころから、、ということを何度も講演などで言っています。ボクとしては、別にいつの頃から、なんていう学問めいた問いかけはどうでも良いと思っています。過去の歴史の傾向を知り、そこに解決を見出すのも必要な面もありますが、とにかく今がダメな部分が多いと思います。
自分もまだまだ出来ていない面も多いので一生の課題だと思うし、周囲の人も少しでもそうじゃない人は変わっていければ良いかなと切に思っています。

2011/11/12

studio-L 山崎さんの講演を倉吉で聴くことができました。

何度となく来ている母方の実家が近くにある倉吉でstudio-L山崎さんの講演を聴くことが叶ったのは自分としてはとても意味あるものでした。

会の冒頭、主催の日本海新聞の方の紹介があり、今年度には、鳥取県の人口は60万人を切り、588000人になる見通しで、その中でも、中部の倉吉は人工減少率が著しいらしく、50000人を切り、48000人になる見通しらしいとのことでした。

嘆くことではなく、むしろ最先端をいっている、と思い、その最先端の場所で世界に向けてその人口減少の問題を解決していくような発信をおこなっていくチャンスである、と山崎さんは言います。
まさにおっしゃる通りで、その場にいるその人にとっての幸せってなんだろう?心の奥底から笑いあえる場面てどんなだろう?と考えたとき、人口が少なくなっていく事実は事実として受け止め、その場にいる人達が幸せに暮らしていける、人口が少ないなりに楽しく暮らしていける仕掛けをどんどんこの最先端をいっているこの場所で考えていければ良いと思うのです。

更に山崎さんは、上手な町のたたみ方、を提唱していらっしゃいました。その昔、人口が5年後には2倍になると分かっていた頃は、農地を宅地に変え、人が集まってきたところは、商売をするべく宅地を商業地に変えて町を拡大させてきた、今度はその逆で、人が集まらなくなってきたところは宅地に変え、宅地も必要なくなってきたところは、農地に変え、自然に戻してあげれば良いのではないかと。これもまた的を得ていて理に叶っていると思いました。

このことを言った瞬間、会場は若干引き気味の空気が流れたことは、ボクは前から2番目に座っていたので、背中越しに感じたのですが、でもだからこそ、それって皆さんが実は思っていることなんじゃないかなあ、とも思いました。ボクはどっちか、と言うとよそ者に分類されてしまうと思うのでなにか言ってもよそ者なのに、と言われてしまいがちですが、思っているからこそ発言するのですと自分では思っています。

日本全国このような事態に陥っているところは数多くあります。町の上手なたたみ方というか、展開の仕方と言った方が良いと思いますが、その展開の仕方に、建築やデザインに関わってきた者として、それこそ上手に関わることができないかと思うわけであります。そこに新しい建築家、が生まれるきっかけや希望があると思うのです。

2011/11/10

鳥取にて その2 11月5日(土)のこと 写真など

11月5日(土)鳥取にてのことです。
5時くらいに土砂降りの雨で目が覚め、少し小降りになった頃の朝8:30には西園の家を出て、コナン大橋を渡り由良駅へ向かい、いざ鳥取へ。久しぶりに親戚のあっちゃん家族に会いました。娘さんがあまりにもお母さんに似ていてびっくり。うり二つとはこのことだと思ったほど。県庁の中でも部署が変わって、今は以前とは違う部署で奮闘中とのこと。

そんな話をしながら、以前より見たかった鳥取環境大学、鳥取港、鳥取大学を見学。
また各々のこと書きたいと思います。

(鳥取環境大学)

(鳥取環境大学)

(鳥取賀露港の公園)

鳥取環境大学を見学した後、鳥取賀露(かろ)港のかろいち(という名前の市場)でお昼を食べ、鳥取大学を見学し、鳥取市内でお茶をし、その後下段の工作社へあっちゃんと2人で向かいました。いよいよ本間さんに鳥取で会います。鳥取で本間さんと会う横に本間さんと同じ鳥取県人のあつしくんがいるという偶然と自然が入り交じるサプライズ、笑。

以下単文になってしまいますが、核。本質。本当に必要なモノ。シンプルに。シンプルって単にスタイリッシュってことじゃない。シンプルって単に無駄なモノを削ぎ落としていって残ったモノってことじゃない。モノの構成、その本質は何かを考える。そのモノの本質をシンプルに常に探っている人、ピュアに追い続けているヒト、本間さん。だから自然体でいられるし、次へつながる何かをしている、というか次につながる奥行きの深さを追求している。ブレない本質の追究。本質がブレない。本間さんはそんな感じの人、というのが、たまにのメールのやり取りや、去年初めて早稲田でお会いしたときからそう感じていたけど、その時改めて確認できました。ということで、つづく。

トルコでまた大きな地震が起こりました。先月にワン県内で起きた場所から15kmしか離れていないところとのことです。ベトナムでもあらたな水難が起きています。

トルコでまた大きな地震が起こりました。先月にワン県内で起きた場所から15kmしか離れていないところとのことです。ベトナムでもあらたな水難が起きています。ニュージーランドの地震、東日本大震災、タイの大洪水、そしてトルコの立て続けに起きた地震、その他、内紛が絶えなかったり、その他の災害が各所特に今年は多い気がします。

こんな状況だから、しばらくは静かにしてた方が良いんじゃないか、ということでは決してなく、だからこそ今こそ外に目をできるだけ向けどんな小さな事でも、なかなか自分も出来てはいませんが、もっと積極的にやっていかないとと思うわけです。

普段見ているニュースサイトのALJAZEERAと、CHANNELNEWSASIAはやはり各国の情勢の報道がずば抜けて速いと思います。



2011/11/07

鳥取にて その1 写真など

(日本海政経懇話会での山崎さんの講演)

(倉吉駅南口)

(倉吉から由良へ向かう車窓から)

2011/11/05

鳥取にて(ツイッターより)

11/4-5のツイッターからです。個々のお話はまた今度。

倉吉に到着。バスでの移動は初。朝焼けや、地表から立ち昇る蒸気、また格別なものがありますねえ。 #tottori

朝は旧国道沿いのバス停の周りに座って遊んだり本読んだりしてバス待ちのたくさんの小学生。今は写真のコナン大橋を通って久々の電車に乗りました。#tottori

初めて倉吉駅の北口に降りてみました。ずっと工事してたからなあ。 #tottori

@yamazakiryo 一段とパワーアップしたお話を倉吉でお聞きすることができとても意義深くありがとうございました!明日も引続き山陰かと思いますがお体にお気を付けて。 #tottori

@kato_kensuke あいさつできずスイマセンでした。久しぶりの再会、嬉しかったです。
未明の土砂降りは少し引いたものの、それでもまだ強い雨の中、相変わらず地表から立ち昇る白い霧を見ながら一路由良から鳥取へ。 #tottori

鳥取にてあつしくんと、本間さんと会い深い入口?笑、までお話することできました。飛行機も良いけど、バスも良いな、ということが良くわかりました。 #tottori