2011/11/13

第85回かち歩き大会で43kmに初チャレンジしました。

大震災の翌日に予定されていた前回の大会は中止、その後の大会でした。自分としても43キロは初チャレンジでドキドキしていました。

結果から言うと、8時間9分で完歩しました。とっても気分爽快です。すごいリフレッシュになったと思います。これでかち歩き大会は去年の新宿東村山23.5kmコース、今年2月の大宮加須31kmに引き続き3回目の参加。とても良い大会だと思います。
来年は、2月19日(日)にさいたま大会、3月4日(日)に福岡大会、そして3月11日(日)に東京大会があります。次回のさいたま、東京にも出ようと思います。

(ゴール地点の横断幕)

(次回の予定とか)

予定通り朝8時半に新宿中央公園水の広場を出発して、5キロ地点までは集団歩行。その後自由歩行。途中から建築家の越賀克郎さんのりみちくん親子に会い、楽しくお話しながら歩きました。越賀さんが楽しくお話をしてくれたおかげで気が紛れて何とかゴール出来たのだと思っています。27キロくらいが一番しんどかった、、。前回の31キロ大宮大会も25キロ~27キロくらいがとにかく意識が朦朧となるくらいきつかったですが、今回も同じ。でも、やはり経験てすごいなと思ったのですが、経験してたから乗り切れた部分もあるのかな、と。やっぱ人間て自分の知らないことにものすごく恐怖を抱く動物なんだな、と改めて思いました。

27キロくらいまでのきつい時期が終わり、30キロ地点くらいからは、今まで痛かった腰下の足の付け根部分に加えて足首や足の甲が痛くなってきて身体も今まで以上に重さが急に増してきましたが、なんか後は勢いで乗り切れました。なんか身体が痛くても前に進むことが出来ました。越賀さんたちと楽しく会話しながら辺りの景色を見ながら歩けたことに加え、ちびっこや若者や若い女性や年配の女性、男性、おじいさん、おばあさんまで、うつむきながらも必死に歩を進めている姿に励まされ続けたからだと思います。最近いろいろなところで見かける話題、「過去の重要な意志決定や発送は歩きながらなされる」というものにも合っていると言えば合っていますし、笑、自分以外の人の頑張りを垣間見ることができる、素晴らしい大会だと思います。

帰り道、立川駅で南部線の発車を電車の中で待っていると、同じホームの隣の番線で待っている大きなリュックを担いだおじさんが急にフラフラとなり、その後、後ろによろよろとなり、そして、ダーンっと倒れました。それもびっくりしたのですが、更にびっくりしたのは、その瞬間、ホームに立っている人も、ダーンっと倒れた50センチくらい横にいたイヤホンで音楽聴いて携帯見ていた高校生も、ボクよりもいくらかでもそのおじさんに近い位置に居た他の乗客の人達も、よろよろとなった時から、あー、あー、ってなってたのにも関わらずダーンっと倒れてからは打って変わって、シーンっとなりうつむき加減になって辺りを見回すばかりで誰も動こうとしなかったことでした。それがほぼ一瞬の出来事。その後ボクは電車を降りてそばに行って声を掛けると、割としっかりした様子で、大丈夫大丈夫、と繰り返していて、それでもちょっとすぐにはその場を離れることが出来なかったので、廻りの誰か一人でも近づいてきてくれればどっちか一人でも駅員さんを呼びに行けるのに、と思って顔を上げると、みんな目をそらす、全員。ここがベトナムやタイやインドだったったら、あっちゅう間に黒山の人だかりです。そして周囲の皆はチラチラとこちらを見ていました。大丈夫とは言っていたものの、駅員さんが近くにいなかったのでちょっと探しに行ったけど、どうにも見かけることができず、もう一度そばに寄って声を掛けると目も合ったし、そもそも倒れたとき頭は打ってなかったのは確実に見てたし、声もしっかりしてるし、お酒も飲んでいた風で酔っぱらっていた風でもあるので、大丈夫かなと思い電車に乗り込みました。
なんだこの国は、と思いました。その場に居たおそらく6、70人を代表として国の話まで持って行ってしまうのは間違っているとは思いますが、そんな気分です。これはその場に居た人がみんなそうなだけだったのか、それとも、東京という土地柄のことなのか、はたまた首都圏の人種はみんなそうであるのか、いやいや首都圏以外も日本全部みんなそうなのか、まあそうとは思わないですが、とにかく今目の前に居る人や物に対して、関心を持たないようにしているというか、事なかれ主義を貫きたい精神なのか、触らぬ神に祟りなし的な感じなのか、分かりませんが、オレはなんちゅう国に住んでいるんだろう?と一瞬思ってしまいました。もちろん良いことも沢山あり、良い人も沢山いる国だというのもよく分かっているのですが、それでもやはり良くない部分もとても多い気がします。自分や自分の身内もとても大切ですが、その自分や自分の身内以外の人のために何が出来るのか、何をするのかをもう少しで良いか考えて行動しないと、大袈裟な話かとは思いますがホントに日本は世界からもっともっと切り離されていってしまうんじゃないかとホントに心配です。
自分や自分の身内以外の人に関わりの度合いを増していくと、それはそれは自分の身に降りかかる嫌なことや、面倒なことも一瞬であっという間に増えていきます。自分も他人に対して怒りの感情などマイナスな感情が芽生えてしまうことがあることも多いと思います。でもそれ以上に人との関わりはその先にもっと大きなものを生み出すものだと思います。ネット上で双方向に繋がった人だけに手を差し伸べたり情報を発信していくことも意味ある事もあるかも知れませんが、自分とは完全にオフラインの位置関係にある人達とどう付き合っていくのか、声を掛ける側の掛け方、掛けられる側の掛けられた時の対応、それぞれ立場が逆になることもありますし、そっちの方が重要度が高いと思います。
先人達は、様々な書や記事で、日本人はいつの頃からか周囲との生の関わり合いを避けるようになっていきたといったコメントを残しています。建築家の安藤さんも、60年代の経済成長期に、経済追求型だけでものを作るようになったころから、、ということを何度も講演などで言っています。ボクとしては、別にいつの頃から、なんていう学問めいた問いかけはどうでも良いと思っています。過去の歴史の傾向を知り、そこに解決を見出すのも必要な面もありますが、とにかく今がダメな部分が多いと思います。
自分もまだまだ出来ていない面も多いので一生の課題だと思うし、周囲の人も少しでもそうじゃない人は変わっていければ良いかなと切に思っています。

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