2010/12/31

一年振りでしたが、だからこそ一年間のすごい伸び率を実感できました。

ドイツにて独立して建築設計事務所を営み活躍しているkawahara氏、krause氏が来日した際にお会いしました。去年ちょうど一年前にも会って一年振りでした。ちょこちょこメールのやりとりをしてたので、状況は何となくですがわかっていたけど、直接会って近況を聞くのはまた格別な楽しさがあった。コンペも数多く参加していてだいぶ腕もあがってるなあ。自分も腕が鈍らないように積極的に来年は取り組んでいかねば。ドイツの大学でも助手として教鞭を取っていてきちんと地に足付けての生活は立派だしドイツ語もかなり上達してて、物凄い努力の背景が垣間見えました。一年振りでしたが、だからこそ一年間のすごい伸び率を実感できました。ドイツの建築家紹介プロジェクトもやってみると面白いですね。個人的にも興味かなりあります。しかし、いつからベジタリアンになったの?

2010/12/29

年越しの準備とか

政界も審査会の出欠問題や、孫さんや柳井さんを呼んでの日本の未来について語り合ったり等、正に師走の名にふさわしい慌ただしさっぷりなようで、、。年越し目前のバタバタ感が今の日本を象徴しているかのようで、何とも言えません。でも、反面こういったバタバタ感スピード感みたいな勢いも重要かと思うこともあるので、スピード感を持ってじっくりと腰を据えて?何事も進んでいきたいです。家の近くにかわいらしい門松が売られていました。

2010/12/26

いよいよ年の瀬です。

クリスマスも終わり、いよいよ年越しに向けてのカウントダウンが始まりました。年の瀬バタバタ人の動きが更に活発化していきます。そんな時こそ慌てずじっくりとものごと継続して過ごしていきたいなと思っています。が、ここんとこ年賀状書きに追われて、、。ちょっとずつは準備しているんですが、どうしても押せ押せになってしまい、、。そんなに枚数は多くなくても毎年遅れ気味になるのに、世の中には毎年数千通も書く、しかも全通一言添える方もいらっしゃると聞きます、どんな感じで進めているんだろう?!

さて、来年の目標もまとめ上げていきたいとこですね。目標は常に継続していくから目標であって、などどあーだこーだ考えているだけでちっとも進まなかったりするので、どこかで区切りをちゃんと付けて考えていきたいです。以前の自身のウェブサイトの中で綴っていて途中で止まっていた過去の旅行紀を、このブログでもまた綴り直してみたいなと思っていますし、普段勉強している建築のことももう少し色を添えて書き溜めていきたいと思っています。

2010/12/24

やねだん

昨日News23Xでやねだん(http://www.yanedan.com/)14年間の軌跡のことが取り上げられていました。鹿児島県の人口330人の小さな集落。皆輝かしい顔をして生き生きと生活をしていらっしゃった。過疎化が進み人口減少に歯止めが掛からず嘆いている地域はたくさんあります。でも田だけをこまねいているばかりでは何も変わらない、覚悟を決めて実行に移すのみ、人の繋がりと感動を持って。自治会館の館長でありリーダーである豊重さんの話です。

結局は人だと思うのです、何事もそうだと思うのです。周囲の意見を取り入れつつも、自分が良いと思ったことは勇猛邁進していく気概。リーダーだけがすごいんじゃないと番組を見ていて思いました。一人一人がすごいのです。リーダーらしき人が現れて、周りのおじいちゃんおばあちゃんも、一番最初はどのように感じたかは判りませんが、リーダーのおじさんの意見を聞きそして自発的に行動を共にするようになりました。リーダーの人にしても、周囲の人にしても、時には自分の意見が通らなかったりすることはあると思うんだけど、人の意見に耳を貸したり、素直に従ったり、時には自分からも意見したりする、とても勇気がいることだと思うのです。なかなかできないことだと思うのです。やねだんの人達は330人とは言ってもみながひとりひとりやりがいと誇りを持ってやねだんで生活していらっしゃる。やねだんの他にもこのような取り組みをおこなっている地域はたくさんあると思います。やりたいと思う気持ち、そしてちょっとだけの勇気、地球上で暮らす人々全員がほんの少しでもそういう思いを胸に刻みながら、そしてあきらめない気持ちを抱きながら生きていかなければなりません。

2010/12/23

今日は穏やかな天気になりました

昨日突然夜に大学同期の鶴氏からお誘いを受け夕食を共にしてきました。一つ大きな仕事を納めた直後とのこと。不動産の仕事をされていて巨大プロジェクトを一手に担い活躍中で、普段自分が扱う金額についても0が2つくらい違うので、いつ話を聞いても驚きの連続。とても新鮮です。とても忙しい時が半年も続いていたとのことで、しばらくはゆっくり休んで下さい。

今日は穏やかな天気になりました。昨日の午前中は雨模様だったけど、午後からは晴れて、今日もその続きなのでしょう。いつも走ってる馬事公苑の周りだけでなく、今日は足を伸ばして砧公園まで行ってみました。あまり鍛えられてる感が無いんだけど、来年の目標の10kmマラソン、ハーフマラソンには参加できるんだろうか、、、?!

2010/12/19

ブルーシャークス 清水建設ラグビー部

荒川沿いの東電砂町グラウンドに行きました。ブルーシャークス(清水建設ラグビー部)の応援です。自分も草野球をやってたこたもあり、やっぱり今でも部活はすごく好き。

残念ながら試合はブルーシャークスが東京電力に負けてしまいましたが、久々に汗や血しぶきが飛び交うエキサイティングな感動を味わうことができました。来季こそトップイーストへ!


2010/12/18

「その場でこの先何十年か生きるんだから、自分自身が楽しくなりたい、よりよく生活したいから何かしようと思った、何か始めた」

独特の語り口と風貌そして進行形実体験(普段生活を営んでいるそのもののこと)がとても印象的だった本間公(ほんま あきら)さん。チームトットリノススメ(http://www.tottori-susume.com/)の主宰もしていらっしゃる。周囲の専門家の発言どこ吹く風、自分自身ありのままを背伸びせずお話している姿がとても良かったです。自分も何回か降りて散策した鳥取駅と鳥取県庁を結ぶ道、商店街。あの普段閑散とした通りが一年の何回かまるで文化祭のように活気が出るという。それが、各々個人主導でおこなわれている。「その場でこの先何十年か生きるんだから、自分自身が楽しくなりたい、よりよく生活したいから何かしようと思った、何か始めた」というよく考えると、よく考えなくても当たり前のフレーズにハッとした。自分自身がって強調してたけど、おそらく本間さんは自分の両隣の人、はたまたもう一軒隣、そしてこの通り、そしてこの町、この県、この地域とある程度の行政上の括りではない範囲、というかゆるやかにつながっている全部、を考えているんだろうなあ、っていうのが本人は思ってないかも知れないけど、よく伝わって来ました。鳥取帰った時行ってみよ。

studio-Lの山崎氏はものすごいマシンガントーク、人を引き込む喋りのテンポ、ネタの多さ、さすがでした。徹底的に「ヨソモノ」としての姿勢を貫き通す。そのやり方すごいアリだと思う。だけど、全然押しつけがましく無く、わざとらしく無く、いやみたらしいところも無い。
やはりマルヤガーデンズの話が印象的。ユナイトメントストアーの造語はかなり共感を持てる。部署に分かれて物販するだけのモノと違い、人、物、地域をつないでいくモノである、と。その基盤をつくり、地域にじっくりと語りかけ、人々一人一人と地道に対話して実現させたことは、偉大な業績なんじゃないかと思います。建築そのもののあり方、建築家やデザイナーのあり方を問い直し続けてるんだとも思います。ずっと悩んで考えてきたことだけど、改めて考えさせられるし、世界ではとっくにそのことの認識は変わってきているし、変わってない地域があったとしても徐々に変化が起きています。建築家はどのように社会に接していくのか、建築が社会や世界に貢献できることは絶対あるはずだと、ますます深く考える契機に。様々な人や物の相互の関わり合いで世の中はできあがっていくものであり、建築や建築家やデザイナーはその一員であることを強く認識する必要があります。

親睦会の最後にAHFに関心のある数名と山崎さんとで会合の場を持ちました。山崎氏はAFHがやっていることも、studio-Lがやっていることも、同じではないかと思っている、とおっしゃっていたが、確かに、今日の2つの講演でstudio-Lの活動振りを聴くと、そうも思える。でも何かちょっと違う一面があるようにも思えるし、違う観点からのアプローチがあるようにも思えます。設立準備会を通じて皆さんと考えていきたいと思います。

下の写真は、上から、都市計画フォーラムの会場だった早稲田大学建築学科棟、山崎氏の講演模様、本間氏の講演模様。

Waseda univ.

Studio-L

TEAM TOTTORINOSUSUME

2010/12/17

都市計画フォーラムとローカルデザイン研究会

今日はこれから研究会2つをハシゴしてきます。主な目的は、studio-Lの山崎亮氏のお話を聞くこと、お会いすること、ボクの古里(生まれてはいないのですがトータルで振り返り多くの時間を過ごした場所という意味で)の一つである鳥取の川端エリアでの取り組みの話を聞くことです。どんなお話が聞けるか楽しみです。また山崎氏はstudio-Lの代表であると同時に、Architecture For Humanity(AHF)の東京支部の代表も務められていますので、その話も直接伺うことも大きな目的の一つです。

studio-L >>> here
AFH >>> here
Urban design Forum at Waseda univ. >>> here
Local Design Workshop >>> here and here

2010/12/16

ボロ市 今年も終了!来年は1月15日16日今度は土日!

今年で433年目になるボロ市も終了しました。日中は押し合いへし合いになり、通行もままならないほどごった返していて相変わらずの盛況ぶりでした。来年も年明け早々ですが、この賑わいをまた味わえると思うと今から年越しが楽しみです。今度は運良く土日なので、もっと凄い人混みになることが予想されます。どれほどの賑わいになるのだろう、、??


ボロ市 2日目!! Boro-ichi second day !!

ボロ市の2日目が始まりました。今朝も早くからごった返しています。
写真は、昨日の夕方の模様です。

2010/12/15

今年もボロ市始まりました!

今年もボロ市始まりました。代官餅に既にこの行列です、、。去年よりも皆さんの並び始めが早いとのことです。flickrでもアップしてみたいと思います。

2010/12/14

明日はボロ市

毎年続けて今年が433回のボロ市が明日と明後日で開催されます!!毎年数十万人が来場して辺りは騒然としますが、今年はどんな掘り出し物が、、、!?

開催前日のボロ市通り

大工棟梁田中文男さんが亡くなりました。

先週インターネット上の読売新聞の記事で、大工棟梁田中文男さんが亡くなったという記事が書かれていて、恥ずかしながらそれで知りました。以下は抜粋ですが、昔書籍で田中さんについて読んだのを今でも良く覚えています。当時は大学3年次で建築の勉強を初めて間もない頃で宮大工さんへの憧れが強くあった時でもありました。当時は田中さんの本を読んでただただ怖いっ、と思ってただけだったけど、笑。もう一度読み返してみましたが、当たり前ですがものすごい貴重な言葉の数々。どれもこれも当たり前のことを言ってるんだけど自分にはそれが出来ていないから。そうは思ってるんだけど、実行したいと思ってるんだけど、まだまだ自分には出来ていないから。一つずつ着実に実行をゆっくりとでもしていきたいです。心よりお悔やみ申し上げます。

自分もこのブログでもう少し建築にまつわることをトピックとして取り上げそれに普段勉強していることを織り交ぜながら建築のへぇーということを徐々に載っけていきたいと思ってます。

[追悼抄]木造建築の研究に努めた大工棟梁(とうりょう) 田中 文男(たなかふみお)さん
8月9日、肺がんで死去、78歳

返事は六つ。「わかる、わからない」「できる、できない」「好き、嫌い」

中途半端な返事を嫌い、現場で弟子に雷を落とすこともしばしば。「それ以外の返事をする者は、ええかげんな者だってわかりますから、相手にしない」。仕事に妥協を許さず、生前、よくこう語った。

14歳で宮大工の道に入り、21歳頃に独立した。「親方に教わったことだけでは食えない。職人は一生修業」。いつも本を広げて勉強する姿を周囲の多くが覚えている。

社寺や住宅の建築にとどまらず、佐賀県の吉野ヶ里遺跡・北内郭の復元や、重要文化財の修理まで手がけ、その仕事は宮大工の域を超えていた。20人を超える弟子を育ててきた大工棟梁である一方で、建築の歴史にも関心を持ち、大工や研究者、学生を集めて研究会を開いた。その記録として出版された機関誌「普請研究」は10年間で40冊に上り、「学者棟梁」とも呼ばれた。

「先見の明があり、材料から組み立てる人たちまで含め、大工の職能と社会全体との関わり方を常に考えていた」と、明治大の沢田誠二教授(68)(建築生産論)は評する。

「いい建築を造るには、いい材料が必要。自分で足を運び、全国を股にかけて材木のことを把握していました」。30年来の付き合いがあった山梨県甲州市・向嶽寺の宮本大峰老師(74)は振り返る。

同寺では、書院や座禅堂などを延べ10年かけて完成させたが、予算が厳しいと知ると、契約後にもかかわらず、自らの持ち出しで、より良い材木を使った。宮本老師は「50年、100年ではなく、さらに長くいいものを残そうという気持ちからでしょう」と語る。

長男の恭一さん(49)にとっての忘れられない思い出は、小学生の時、同級生の女子をからかったことを知られ、顔が腫れ上がるほど平手で殴られたこと。「子供にとっては、ひたすら怖い父親でした」

米国の大学へ留学する時も「他人に頼るな」「何をするのか、構想を持て」と、成田空港へ向かうバスの中で延々と説教を受けた。ところが別れ際、かけられた言葉は「頑張ってこいよ」。離陸するまで涙が止まらなかった。

亡くなるまでの2年間は入退院を繰り返す。弱った姿を見せたくないのか、自宅を訪れた見舞客に居留守を使うこともあった。

「男はつらいよ」シリーズの寅さんが好きで、全作を劇場でみたという。「色々あっても最後に寅さんは潔く去っていく。そんな姿が父は好きだった。居留守を使ったのも、父なりの美学だったのでしょう」(インターネット読売新聞)

2010/12/12

ついでに大掃除

住んでいるマンションが築42年でただいま設備配管更新工事真っ最中。全住戸に強制的に立ち入りPS(パイプスペース(上の階から下の階へ流れている排水管とか格納されているスペース))を囲っているコンクリートブロックをガリガリと壊し、排水管を交換するという工事です、主には。さらにうちの場合は居間の真ん中に床下点検口を作り、、とすごいことになりました。建物全館停電及び排水禁止となかなかハードな内容。でもまあ住人同士もお互い様だし、住人と工事する人もお互い様なので協調し合うことがとても重要だなあと改めて思いました。

そんな感じなのでついでに年末の大掃除もしてしまいました。それはそれで一石二鳥だったかな、と。厳しさを増す冬に対してガスストーブも遂に出したし冬支度もボチボチと。

自宅裏のボロ市通りも今週15日(水)、16日(木)のボロ市開催に向けて準備が着々と。数十万人来場の賑わいが大いに予感されます。

2010/12/08

0から100を見ていたことと、100から200を見ることは同じ事、でも違うことあるかも知れない。

0から100を見ていたことと、100から200を見ることは同じ事、という話を高度経済成長期にがむしゃらに働いてきて成果を上げ現在はその一戦から退いている人と話をしました。最終的にはその人はボクの意見になるほど、と言っていたのですが、最初はその人は違う、ボクは同じ事、と言う意見でした。要は戦後焼け野原になって全てを失い何も無い状態から欧米に追いつき追い越そうと努力し遂にはある面では追い付き追い越した。それが0から100の状態。対して100から200の状態というのは、現在全てが満たされ何もかもある状態、と言うことは、全てが飽和なタプタプな状態、と言うことは、全てがフラット、全てが平等な状態、と言うことは更にそれって結局0の状態と同じ事、今から200の状態を創造しそれを目標にしそこに向かえば良いのではないか、それと同じ事ではないかと思うのです。その人は、なるほど、と頷き、しかし、と続けました。日本人は根本的に何か目標がありそれをお手本にし、真似、追い付き追い越すことは得意だけれども、新たな100を築くこと、ましてや200を生み出すことは不得意であるため、0から100を見ていたことと、100から200を見ることは同じ事かも知れないが、違う面もあり一概にそうだとも言えない面もある、と。でも、そうは言っても日本人の誰かが0を作り出しそれを目標としたのではないか、とボクは思ったのですが、いやそれは-100の時に0がどこかに存在していたに過ぎない、と。そしてその体質は日本人の身体や精神の中に2000年続いてきたのでなかなか変わることは難しい面もあるかも知れない、と。一瞬背筋が凍る思いがしました。そして更にその高度成長期を牽引してきた人は続けます。今の若者は仕事が無くてかわいそうだと連呼します。かわいそがってくれて応援して下さるのはとても心強いし嬉しいのですが、しかし若い人がそう言われて何もできないでいるようでは何にも変わりません。200を作らなければならない以上、一生懸命勉強して考えて作り出していく、ただそれだけなんです。

2010/12/07

アップルと上杉家

マックを世に送り出しているマックはある時期いわば敵とも言える競争相手であるインテルのCPUを自身のマシンについに組み込みました。世界に衝撃を与えたとても大きな変革でした。もちろんいろんな事情があるのでしょうが、命尽きるまでマック独自のCPUを使い続けて華々しく散ることを潔しとはせず、最終的に隣人を愛し包容してしまったのです。

そして、戦国時代の中期から末期に掛けて、越後の覇者上杉謙信が亡くなりその後起こった内乱を納めて引き継いだ上杉景勝とその執政の直江兼続も敵である豊臣秀吉に与し、その秀吉没後は豊臣家を滅亡させてしまう徳川家康にも従属しました。正に己の命ばかりではなく越後の民と国そのものの命を掛けた苦渋の選択決断だったと思います。しかしながら従属したとは言え、堂々と豊臣秀吉、徳川家康と渡り合ったと歴史は記録しています。というか大河ドラマや他の小説を見る限り、堂々以上に、対等に、時には秀吉家康以上の立場で渡り合っているようです。武田家や北条家のように己の力量を見誤り、また世の情勢を見誤り、最期までそれらを見極めることをせず、自分の周囲の意見も聞かず、絶対の力に抗い、最終的に国を一国滅ぼされてしまう道を選択はしていません。武士たるもの華々しく散ることこそ先祖代々への勤め奉公である、という考え方もあるかとは思いますが、その土地で代々暮らしている、あるいは戦乱を逃れて辿り着いて暮らしている農民を始め一般人には何の関係もありません。むしろ戦闘専門の人たちより一般人の人たちの方が多いのです。己の勝手な思い込みや意地だけで多くの関係ない人たちの命を勝手に掛けることは絶対に許されることではありません。上杉家はそれを見極め従属の道を選びました。でも、その後は先にも述べた通り堂々としたその功績は人々の良き生き方のお手本として後世に語り継がれています。

話を戻してアップルマックもインテルやウインドウズOSに歩み寄ったとは言え、その後も魅力的な製品を世に送り続けています。マックからiPodからiPhoneから、どれもとても人を引きつける力を持っています。それは歩み寄りの前後で変わりません。むしろウインドウズOSも簡単にインストールできるようになったことで、マックの方が使い勝手が良くなったと言えるのかも知れません。

最新の『日経アーキテクチュア』の隈研吾に対するインタビューで隈さんは、建築家の社会の中での役割が、自己主張を全面に出し自身の存在を世に示していくことから、周囲の人々と事業者施工者その他関係者との調整役の仕事が大部分をなしていくことへ変化していく、というようなことを述べています。このことは隈さん自身も以前より述べていたし、都市計画家、まちづくりプランナーと言った方々が述べていることでもあります。大きな目を持った、というか持たなければならない専門家が、実際その場その空間で実生活を営んでその場の詳細を日々見ている方々の目を併せ持ち、時にお互いを理解し話し合いながら問題点をより良き方向へ導いていくことがとても重要な役目仕事ですし、これからはそのことが今まで以上に加速していきます。大きな目と細かい目、常に複眼志向、そしてアップルや上杉家のように周囲の環境の変化に絶えず順応していかなければいけません。

2010/12/06

汁べえ離(えは昔のえ)にて

吉祥寺にて建築設計事務所を営んでいらっしゃる赤ひげ先生のもとで働いている来期より所長就任予定の小宮氏に会う。彼の大学時の同期の人も交えて3人で建築設計事務所の展望など話し合う。当然明確な展望などなかなかつかめないのだが、将来を見据えてのそれぞれの決して表には出てこない働きぶりを伺うことができ勇気をいただきました。応援しておりますし自分ももっと頑張ろうと思います。師走のバタバタにめげず前向きに頑張ってきましょう。

2010/12/05

同窓会という初対面の会

昨日、小中高時の同窓会があり出席しました。昨年から始まった(と思われる)この会、今年2回目。まだまだ連絡が350人全員には行き届かないと思うんだけど、それでも1割以上の40人以上を集めた渡邉つなひろくん、鶴岡くん、光安くんはすごい、脱帽です。来年はボクも連絡を取れる人に取ってみようと思います。

高校卒業して15年以上経ちますが、15年ぶりに会う人は、もはや初対面、笑。「15年ぶりに会う」んだったらまだましで、高校の3年間で喋らないうちに卒業してしまう人はざらにいます、というかほとんどそうでした。そうなるとホントに初対面。「で、どちら様ですか?」みたいな、笑。

でも、この現象って、脳みその活性化に劇的に効果があると思うのです。廊下ですれ違ったことがあるかも知れないこの顔、、誰だっけ?と過去18年の記憶が現実の3秒間くらいの間に、頭をフル回転します。思い出せなくても一所懸命思い出そうと努力します、脳みそが勝手に。そして思い出した時の往時の面影と今現在の姿とのギャップに対する感動、どうしても思い出せない時の焦りと緊張。

別に脳みその活性化の為に参加するのではありません、楽しみの為に来年もあれば参加したいと思います。

2010/12/04

ウェブサイトをリニューアルしてみました。

まずはバージョン0です。これを皮切りにどんどんカラーを出していきたいと思います。どうぞよろしくお願い申し上げます。
www.PlusTen-A.com

2010/12/03

中国に留まって医師として活動を続けてきた山崎宏さんが亡くなられました。

インターネットの47ニュースに、戦後中国に留まり活動を続けてきた山崎宏氏が老衰のため、1日午後に102歳で亡くなったとの記事がありました。以前ボクは一度テレビで拝見し、その時衝撃を覚えたのを良く覚えています。尊敬する人物の1人です。日本人として、ということをものすごく強く思っていた人なのでは無いでしょうか。戦争という自分の意志とは関係ないところで起きてしまった惨劇に自分も加担せざるを得なく、やがて敗北した後、どうこれから日本は責任を取っていかなければならないのか、真剣に考えた挙げ句の行動だったのでしょう。問題は、要は、究極的には国以前に個人1人1人なのです。国がそう簡単には意見を一つにまとめることができず、曖昧な態度しかとることが出来ないのであれば、自分はどう考えるのか、個人的にはどう考えるのか、自分が責任を取るのであれば何が出来るのかを考え尽くしたのでしょう。建築家でも自分に活力を、元気を与えてくれたのは中国のおかげと、だから建築活動で中国に恩返しをしたいと、頑張ってらっしゃる方が何人もいらっしゃいます。ホントすごいなと思います。自分も勇気が出てきます。以下はニュース抜粋です。ご冥福をお祈り致します。
中国に残留した医師山崎氏が死去 従軍後「贖罪」と心情
【上海共同】日中戦争で従軍した後、中国山東省済南市にとどまり、約60年にわたり医師として中国人の治療を続けてきた山崎宏氏=岡山県真庭市出身=が1日午後、老衰のため同市内で死去した。102歳。同市政府が3日明らかにした。
山崎氏は1937年に渡航し、44年済南市で現地応召して従軍獣医師になった。敗戦後、中国に残ることを決め、中国人女性と結婚。中国で医師の資格を取り、地域医療への貢献を続けた。2009年11月に日本の総理大臣表彰(高齢者表彰)、今年8月には外務大臣表彰をそれぞれ受けた。
総理大臣表彰を受けた際に「ずっと贖罪の気持ちを持ち続けてきました」と心情を語った。100歳を超えても、市内の共同住宅の一室にある診療所で小児科医として勤務していた。

12月になりました

また1年が過ぎようとしています。世の中には様々なイベントがあり、人々が集う時期であり、盛り上がる時期です。でも同時にまた年月が過ぎてゆく、自分は年老いてゆくという事実もまた考えさせられる時期でもあります。喜びや嬉しさ楽しさがあり、その反面悲しさ寂しさそして焦り、そんな表裏一体のネガティブな存在も感じずにはいられない。こんにちの日本人として日本人の意識として、寂しさとか焦りって何でしょうか?10年後20年後韓国はどんな国になっているのでしょう?北朝鮮は、中国は、台湾はどんな国になっているのでしょう?インドやカンボジア、ラオスやベトナムやタイ、ミャンマーはどんな国になっているのでしょう?そしてその時日本は?それらの国々と比較して日本はどうなっている?今10代の人は働き盛りの30代になっています。30代の人は50代になって上の年代も下の年代も見渡して行かなければならない年代になっています。その時日本は?はてさて。どこの国だってどの時代だって栄枯盛衰は必ずあると思うのです。その時経済状況が最も悪くなっているかも知れない。ほどよいかも知れない。1番かも知れないし1番じゃないかも知れない。全力で1番を目指すことはとっても重要だけど別に常に1番である必要はないのです。その時リーダーシップを発揮できる国がイニシアティブをとり、周りはそのリーダーの考えが良ければ歩みを共にし、悪ければしっかりと意見し、要は周囲一丸となり良きかなと思える方向にああでもないこうでもないと対話をしながら着実に進んでいけばよいのです。そのためには人間1人1人の地力を付けておかなければいけないと思うのです。地力が備わっていなければ意見することも出来ないし、おそらくそもそも周囲の国々に対し近づくことすら出来ないはずです。しっかり相手の目を見て、相手の心に響くように、届くように、また相手の意見を寛容に、ちょっとやそっとのことでは全く動じずに、受け止められるように精進していかなければなりません。

2010/12/01

千葉県の住宅とパゴパゴを訪ねて

2時間近く電車に乗ったのは久々です。千葉県にある友人のお宅にお邪魔し話をしてきました、半年振りで久々です。東京から千葉県に入ると車窓からの景色もだんだん変化してきて長い距離を移動していることを実感。浅草周辺ではこれまた久々に見る江戸東京博物館のスケールアウトした人工地盤の大きさに改めてびっくりし、更には500メートルを突破したスカイツリーの巨大さにびっくりしました。結局あの人工地盤とも言える巨大なフロアーは、菊竹清訓の考えるある種未来の東京計画とも言うべきものを具現化したものなんだろうなあ。

ほのぼのとしたのどかな駅で降り立ちしばらく待っているとホンダで迎えに来てくれました。到着して外観をじっくりと拝見しました。見事なアオハダの株立ち。そして竣工後1年半を経過したとはとても思えないほどのきれいな外観。びっくりしました。外構の外壁も建物の外壁もホントきれい。駐車場のコンクリモルタル床のタイヤ軌跡後は年末の大掃除の時デッキブラシでごしごしと頑張ろう。

玄関入ってみて、靴を脱ぐいわゆる玄関土間が無いこと、そして上がり框が無いことで久しぶりの斬新さを思い出しました。玄関空間のタイル目地が続く空間に対してナナメっていることが気になったのですが、応接空間に入って住宅の内部空間全体が目に入ってきた時、そのことは忘れました。奥に奥に視線をいざなう仕掛けが多々あり楽しませてくれます。所々2、3段の段差があることで固定の壁などで仕切らずとも空間を分節化しているので、全体の広がりを感じることが保たれています。

2つの2階の部屋、そしてお子さんの部屋、水回りなど見せていただき、その後の話も盛り上がりました。久しぶりでホント楽しかったし、金子知己くん、そしてなみさん、りこちゃん、ホントどうもありがとう。

柏に移動し、1年半ぶりくらいにパゴパゴに突然顔を出してみる。社長もスタッフもめちゃくちゃびっくりしていたご様子、笑。みなさんお変わりなく何よりです。