マックを世に送り出しているマックはある時期いわば敵とも言える競争相手であるインテルのCPUを自身のマシンについに組み込みました。世界に衝撃を与えたとても大きな変革でした。もちろんいろんな事情があるのでしょうが、命尽きるまでマック独自のCPUを使い続けて華々しく散ることを潔しとはせず、最終的に隣人を愛し包容してしまったのです。
そして、戦国時代の中期から末期に掛けて、越後の覇者上杉謙信が亡くなりその後起こった内乱を納めて引き継いだ上杉景勝とその執政の直江兼続も敵である豊臣秀吉に与し、その秀吉没後は豊臣家を滅亡させてしまう徳川家康にも従属しました。正に己の命ばかりではなく越後の民と国そのものの命を掛けた苦渋の選択決断だったと思います。しかしながら従属したとは言え、堂々と豊臣秀吉、徳川家康と渡り合ったと歴史は記録しています。というか大河ドラマや他の小説を見る限り、堂々以上に、対等に、時には秀吉家康以上の立場で渡り合っているようです。武田家や北条家のように己の力量を見誤り、また世の情勢を見誤り、最期までそれらを見極めることをせず、自分の周囲の意見も聞かず、絶対の力に抗い、最終的に国を一国滅ぼされてしまう道を選択はしていません。武士たるもの華々しく散ることこそ先祖代々への勤め奉公である、という考え方もあるかとは思いますが、その土地で代々暮らしている、あるいは戦乱を逃れて辿り着いて暮らしている農民を始め一般人には何の関係もありません。むしろ戦闘専門の人たちより一般人の人たちの方が多いのです。己の勝手な思い込みや意地だけで多くの関係ない人たちの命を勝手に掛けることは絶対に許されることではありません。上杉家はそれを見極め従属の道を選びました。でも、その後は先にも述べた通り堂々としたその功績は人々の良き生き方のお手本として後世に語り継がれています。
話を戻してアップルマックもインテルやウインドウズOSに歩み寄ったとは言え、その後も魅力的な製品を世に送り続けています。マックからiPodからiPhoneから、どれもとても人を引きつける力を持っています。それは歩み寄りの前後で変わりません。むしろウインドウズOSも簡単にインストールできるようになったことで、マックの方が使い勝手が良くなったと言えるのかも知れません。
最新の『日経アーキテクチュア』の隈研吾に対するインタビューで隈さんは、建築家の社会の中での役割が、自己主張を全面に出し自身の存在を世に示していくことから、周囲の人々と事業者施工者その他関係者との調整役の仕事が大部分をなしていくことへ変化していく、というようなことを述べています。このことは隈さん自身も以前より述べていたし、都市計画家、まちづくりプランナーと言った方々が述べていることでもあります。大きな目を持った、というか持たなければならない専門家が、実際その場その空間で実生活を営んでその場の詳細を日々見ている方々の目を併せ持ち、時にお互いを理解し話し合いながら問題点をより良き方向へ導いていくことがとても重要な役目仕事ですし、これからはそのことが今まで以上に加速していきます。大きな目と細かい目、常に複眼志向、そしてアップルや上杉家のように周囲の環境の変化に絶えず順応していかなければいけません。
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。