2010/12/08
0から100を見ていたことと、100から200を見ることは同じ事、でも違うことあるかも知れない。
0から100を見ていたことと、100から200を見ることは同じ事、という話を高度経済成長期にがむしゃらに働いてきて成果を上げ現在はその一戦から退いている人と話をしました。最終的にはその人はボクの意見になるほど、と言っていたのですが、最初はその人は違う、ボクは同じ事、と言う意見でした。要は戦後焼け野原になって全てを失い何も無い状態から欧米に追いつき追い越そうと努力し遂にはある面では追い付き追い越した。それが0から100の状態。対して100から200の状態というのは、現在全てが満たされ何もかもある状態、と言うことは、全てが飽和なタプタプな状態、と言うことは、全てがフラット、全てが平等な状態、と言うことは更にそれって結局0の状態と同じ事、今から200の状態を創造しそれを目標にしそこに向かえば良いのではないか、それと同じ事ではないかと思うのです。その人は、なるほど、と頷き、しかし、と続けました。日本人は根本的に何か目標がありそれをお手本にし、真似、追い付き追い越すことは得意だけれども、新たな100を築くこと、ましてや200を生み出すことは不得意であるため、0から100を見ていたことと、100から200を見ることは同じ事かも知れないが、違う面もあり一概にそうだとも言えない面もある、と。でも、そうは言っても日本人の誰かが0を作り出しそれを目標としたのではないか、とボクは思ったのですが、いやそれは-100の時に0がどこかに存在していたに過ぎない、と。そしてその体質は日本人の身体や精神の中に2000年続いてきたのでなかなか変わることは難しい面もあるかも知れない、と。一瞬背筋が凍る思いがしました。そして更にその高度成長期を牽引してきた人は続けます。今の若者は仕事が無くてかわいそうだと連呼します。かわいそがってくれて応援して下さるのはとても心強いし嬉しいのですが、しかし若い人がそう言われて何もできないでいるようでは何にも変わりません。200を作らなければならない以上、一生懸命勉強して考えて作り出していく、ただそれだけなんです。
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